イタリアの政党レーガ(同盟)
Lega
書記長マッテオ・サルヴィーニ
成立年月日1991年1月8日
前身政党ロンバルディア同盟
現在掲げられている思想
右派ポピュリズム[2][3][4]
ポピュリズム[5][6][7]
欧州懐疑主義[8]
反グローバリズム[9]
反移民[10]
連邦主義[11][12]
地域主義[5][13][14]
かつて掲げられていた思想
分離主義[15]
パダーニア主義(英語版)
自由主義[16][17][18]
政治的位置
多数派
右翼[19][20][21] - 極右[22][23][24]
少数派
左翼[25][26][27]及び中道左派
シンボルアルプスの花
騎士ジュッサーノ
公式カラー緑
国際組織
欧州政党
欧州自由同盟
(1989?94)
自由欧州同盟(英語版)[28][29]
(2013?14)
諸国民・自由の欧州運動[30]
(2014?2019)
アイデンティティ・民主党
(2019?現在)
欧州会派
虹グループ(英語版)
(1989?94)
欧州自由民主改革党
(1994?99)
無所属議員テクニカル・グループ(英語版)
(1999?2001)
独立・民主(英語版) (2004?07)
諸国民の欧州のための連合(英語版)
(2007?09)
欧州自由民主同盟
(2009?14)
自由・民主の欧州
(2015?2019)
アイデンティティと民主主義
(2019?現在)
政党連合
中道右派連合
協力政党(イタリア南部)
サルヴィーニと共に(英語版)
公式サイトLega Nord
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同盟(イタリア語:Lega、レーガ)は、イタリアの政党。書記長はマッテオ・サルヴィーニ。かつては北部同盟(ほくぶどうめい、イタリア語:Lega Nord、略称:LN)という名称を使用していた。
結党直後は工業地帯が密集し経済的に優越しているイタリア北部の自治拡大を主張する地域政党として知られていた。過激な言動や文化的保守性、反共主義、反移民運動などから極右と認識されることが多いが、政治的目標は労働者の保護と地方分権(かつては「究極の分権」として独立も視野に入れたが、パダーニア事件の不発から現在は連邦制を最終目標に掲げている)にあることから、左翼政党という見方もある[31]。しかし近年は地方主義から外国人移民への排外主義や、ユーロ圏への批判(欧州懐疑主義)に軸を移している。
2018年、総選挙において郷土主義を想起させる「北部」の名称を外し、「同盟」に改称した[32]。
年表
1989年
6月15日 - 1989年欧州議会議員選挙で複数の地方政党が選挙連合「北部の国民」を結成。
1991年
2月15日 - 「北部の国民」を基盤にした国内政党「北部同盟」が成立。
1992年
4月5日 - 第11回総選挙で下院55議席・上院25議席を獲得して躍進する。
1994年
3月27日 - 第12回総選挙で右派連合「自由の極」に参加。下院55議席・上院5議席を獲得、下院議席は維持するも上院議席は後退。
5月10日 - 第1次ベルルスコーニ内閣成立。
1995年
1月17日 - 政府の分権政策に不満を表明して連立離脱、第1次ベルルスコーニ内閣総辞職。
1996年
4月21日 - 第13回総選挙で下院59議席・上院27議席を獲得。党勢を回復させる。
? - イタリア共和国内の反連邦主義に対し、パダーニア連邦を宣言。国内外の支持を得られず。
1998年
? - ヴェネツィア共和国運動が北部同盟を離脱。
1999年
? - パダーニア連邦構想を事実上、撤回する。
6月13日 - 欧州議会選挙(イタリア選挙区)で敗退、議席が後退する。
2001年
5月13日 - 第14回総選挙で右派連合「自由の家」に参加。下院30議席・上院17議席に留まり、全体議席の5%程度に大幅後退。
6月11日 - 第2次ベルルスコーニ内閣成立。
2006年
4月9日・4月10日 - 第15回総選挙で右派連合「自由の家」に参加。下院26議席・上院14議席に後退。
5月17日 - 「自由の家」が議席過半数を喪失、第2次ベルルスコーニ内閣総辞職。
2008年
4月13日・4月14日 - 第15回総選挙で右派連合「自由の家」に参加。下院60議席・上院26議席に再び躍進。
5月8日 - 第3次ベルルスコーニ内閣成立。
2012年
4月3日 - 北部同盟内で大規模な党資金横領が発覚、指導者ウンベルト・ボッシが事実上の失脚に追い込まれる。
7月1日 - 同盟指導部は新設した書記長職にロンバルディア州知事ロベルト・マローニを選出。